「光明皇后発願 出曜経 巻第四」断簡および長岡半太郎遺墨の一般公開

「光明皇后発願 出曜経 巻第四」の断簡が、2010年9月16日に大阪大学名誉教授・(故)井上薫氏のご遺族から大阪大学総合学術博物館へ寄贈されました。調査の結果、奈良時代に作成された「光明皇后発願一切経(五月一日経)」の原本の一部と判明し、正倉院宝物級の文化財であることがわかりました。

1.一般公開について

 2011年5月1日に本学は創立80周年を迎えます。2011年5月1日から1ヶ月間、総合学術博物館では創立80周年記念事業として、「光明皇后発願 出曜経 巻第四」を一般公開いたします。あわせて大阪帝国大学の創立に尽力した長岡半太郎初代総長の遺墨を展示いたします。

  • 日時:2011年5月1日(日)~31日(火)10:30~17:00 

   土・日・祝は休館。ただし1日(日)・3日(祝)・4日(祝)は開館。

  • 入場無料
  • 会場:大阪大学会館(イ号館)3階 歴史展示室(大阪大学豊中キャンパス内)

2.寄贈資料の概要

 「光明皇后発願一切経(五月一日経)」は奈良朝を代表する大規模写経事業で、光明皇后(701-760。聖武天皇の后で、大仏造立を発案するなど奈良時代の仏教興隆に努めた。)が主導して7000巻近くが書写されました。現在では約1000巻が残されているとされ、750巻は正倉院聖語蔵に伝存し、他は巷間に散在しています。今回寄贈されたのは、巷間に散在していたもので、井上薫氏が生前に知人から譲り受けたものです。  寄贈資料は五月一日経のうち、「出曜経 巻第四」の末尾二紙のみですが、天平12年(740)5月1日付け光明皇后願文の全体が残っており、状態も非常に良好です。料紙の種類(黄麻紙)・大きさ、経文・願文の文言・筆跡、軸から、五月一日経の原本であることが確認され、さらに「正倉院文書」から天平14年(742)に茨田久治万呂という写経生が書写したことも判明します。  以上から、「光明皇后発願 出曜経 巻第四」断簡は、1250年以上も前の、光明皇后が関わった国家的事業のなかで作成されたことが明瞭な資料として、歴史的にも文化的にも価値の高いものといえます。

 なお本資料について、11月26日に報道関係者向けに公開しました。翌日の新聞各紙で取り上げていただきました。

朝日新聞
http://www.asahi.com/kansai/entertainment/news/OSK201011270017.html
MSN 産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/culture/academic/101127/acd1011270300002-n1.htm
毎日 jp
http://mainichi.jp/enta/art/archive/news/2010/11/20101127k0000m040138000c.html
読売新聞
http://osaka.yomiuri.co.jp/e-news/20101127-OYO1T00204.htm
日経新聞
http://www.nikkei.com/news/latest/article/g=96958A9C93819695E0E4E2E0978DE0E4E3E3E0E2E3E29180EAE2E2E2

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