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近代地図作製をめぐる中国と日本
―技術移転と秘密測量―


文学研究科 人文地理学講座
小林茂 堤研二 鳴海邦匡 渡辺理絵
近代地図作製における中国と日本の関係を検討すると、旧日本軍による中国での秘密測量や中国製地図の複写といった側面の一方で、20世紀初頭の一時期には、日本から中国に測量技術の移転が行われたことが注目される。本展示では、この関係資料を展示し、近代地図作製をめぐる中国と日本の関係を考える。
測量技術を学ぶ中国からの留学生
(第4期陸地測量部修技所学生)
(写真裏)写っている者の氏名が記されている。
この中にはのちに上海陸軍参謀となった黄郛(上段右から2番目)や日本人と結婚し、のちに革命家となった井介福(上段右から4人目)などが含まれている。


中国からの留学生
(第4期陸地測量部修技所学生:長野県上諏訪にて)
●留学生たちのその後(一部)

氏名 担当 年次 中国帰還後
李 蕃 三角科 3期生 中央陸軍測量学校校長
劉 器釣 三角科 3期生 中央陸軍測量学校教育長(1931年〜32年・1940年〜42年)
中央陸地測量学校(前中央陸軍測量学校)校長(1932年)
曾 昭文 地形科 3期生 ※革命運動へ
黄 郛 4期生 上海陸軍参謀
井 介福 4期生 山西陸軍(地)測量局局長(1921年)
唐 凱 4期生 ※革命運動へ
彭 程萬 4期生 江西省測量局三角科科長・測絵学堂教職
兪 應麓 4期生 江西省測絵学堂学監
姜 思治 4期生 陸軍学生監督
張 瑞麟 地形科 5期生 安徽陸軍(地)測量局局長(1913年)
楊 丙 (除名) 5期生 陸軍測量局(後に参謀本部第六局)局長(1912年)
日本で測量技術を学んだ留学生たちは、中国に帰還後、各省に建設された測量学校の校長や教師あるいは陸軍の測量学校などに勤務し、中国における近代地図作製に大きな役割を果たした。

中国での秘密測量
日本軍は、秘密測量を行い中国の地図を作成した。戦地で測量を行うことは、命に関わる危険な業務であった。そこで、測量手は、現地では偽名を用い、さらに変装して測量にあたった。普段の会話にも隠語を使い、自分たちが測量手であることを決して悟られないよう工夫した。
大阪大学総合学術博物館 第2回企画展 「ジグソーのピースを探して」 INDEX