1.
変わる里山:北摂の絵図と地図にみる景観変化

2.
 

3.

  物質科学へのアインシュタインの功績

4.
  この世で最も重い原子を求めて
 

5.
  漢方薬ナビゲーション:時空を超えて科学する心

6.
  宇宙から見た世界の雷活動
 

7.
  太陽エネルギーの有効利用
 

8.
  繰り返しから生まれる複雑さ
 

9.
  ナノテクの4次元空間=ナノ3次元+アト秒

10.
  PDBj: Protein Data Bank japan (日本蛋白質構造データバンク)

11.
  時を止め、空間を作る
 

12.
  琥珀にひそむ時空のなぞ
 

13.
  時間と空間の知覚:知と行動の科学

14.
  曲面の世界
 

15.
  出版活動
 
1. 変わる里山:北摂の絵図と地図にみる景観変

文学研究科/ 鳴海 邦匡、小林 茂
春日神社   豊中市の現況
春日神社(大阪府豊中市)の現況            
 ※現在ではシイ・カシなどの常緑広葉樹が優先する神社林の景観も、
  かつてはアカマツが優先する植生景観であったというが・・・。  
阿比太神社   阿比太神社境内
 阿比太神社(大阪府箕面市)の現況
  ※境内では林地への立ち入りを禁じており、積極的に樹木を保護
   している。
かつての「里山」は、草地が大きく広がる景観であった。また、かつての「鎮守の森」は、アカマツ林で構成されることも少なくなかった。          
そう言われてもにわかに信じ難いかも知れない。過去の植生景観を復元する手法は様々である。ここでは昔の絵図や地図をみていくことで、その景観の変化について考えてみたい。       
以下では、範囲を限定し「鎮守の森」に注目する。       
江戸時代の実測図 −資料批判の一環として−
過去の景観を絵図に読む際には、内容をよく吟味しなければならない。表現の意図やその真偽、作製方法などを検証するほか、他の資料との比較も
実測図 重要な作業である。ここで例に用いた絵図群は1760年代に江戸幕府の代官一行が、コンパスを用いた廻り検地(トラバース測量の一種)により作製した山の図面である。
 
桜井谷の周辺の山々を描いた1760年代の実測図
※『摂津国豊嶋郡柴原村小路村内田村野畑村南刀祢山村北刀祢山村御小物成場絵図』、明和3(1766)年8月内田村中川家(豊中市)文書(豊中市立岡町図書館蔵)
江戸時代の「鎮守の森」−資源が利用される神社林や里山−
事例の絵図には複数の神社が描かれており、その境内林の多くはアカマツタイプの樹木となっている。それは周辺の山々に描かれた樹木に比べて大型である。当時の村明細帳を読むと、神社の境内は「松林山」「松つヽじ山」と表記されるのに対し、周囲の山(小物成山)については「小松原」となっており、絵図の表現と一致する。
春日神社絵図
阿比太神社絵図
   
桜井谷の明和図より春日神社
※『摂津国豊嶋郡柴原村小路村内田村野畑村南刀祢山村北刀祢山村御小物成場絵図』、明和3(1766)年8月、内田村中川家(豊中市)文書(豊中市立岡町図書館蔵)
  牧之庄の明和図より阿比太神社
※『摂津国豊嶋郡平尾村西小路村桜村落村半町村瀬川村御小物成場絵図』、明和3(1766)年8月、 箕面市有文書(同市蔵)。    
近代以降の「鎮守の森」−アカマツ林から常緑広葉樹林へ−
1900年代に近代的な測量技術に基づき作られた地形図をみると、「針葉樹」の地図記号で植生が表されており、この時代もアカマツ林であったことが分かる。その後、「鎮守の森」をめぐる社会環境は大きく変化していった。春日神社の場合、常緑広葉樹が優先する植生景観への変化が確認されるのは意外にも戦後のことである。
近代地形図
近代地形拡大図(1)
近代地形拡大図(2)
近代地形図にみる春日神社と阿比太神社
※正式2万分1地形図「池田」、明治42(1909)年測図

 空中写真にみる戦後の春日神社の景観変遷
空中写真(1)
空中写真(2)
空中写真(3)
※左より、米軍撮影空中写真 国土地理院 1948年3月30日撮影
 空中写真 CKK-74-8大阪地区 国土地理院 1975年1月7日撮影
※春日神社渡辺宮司の談話もこうした景観変還を裏付けるものであった。
文化的景観として「鎮守の森」−私達はいつの景観を保全すべきなのか?−
「鎮守の森」だけでなく「里山」も、ほんの100年前の植生景観をみると、現在と異なっていたことが分かる。今、こうした身近な自然環境の保全が盛んに叫ばれるが、何を保護し後世に残していくのか、その歴史を検証する必要はないだろうか。